【女性限定シェアハウス。家賃3万】
ネットで見つけた、たった一行の短い文。
一人暮らしの経験がない私からしてみれば、初めて自分で契約する物件を探すということは、想像以上に心細くてとても不安なものだった。
(東京で家賃3万だなんて、相場の半額以下だけど……。本当に3万で住めるの? もしかして、掲載ミスとか……)
怪しさは感じたものの、その家賃の安さに惹かれた私は記載されていた番号に電話を掛けた。
ーー2年同棲していた彼氏と別れ、私は早急に新しい家を探さなければならなかった。
大学進学を機に、田舎から上京してきて三年目。東京の家賃は想像以上に高くて、とてもじゃないけど一人暮らしなどできそうもない。
大学の寮に戻ろうとも考えたけれど、生憎全て埋まっていて入居ができなかった。
『見つかるまで、ゆっくりしていいよ』
そうは言われたものの、別れているのにそのまま暮らし続けるのは何だか気が引ける。
(ーー電話するだけなら、大丈夫。おかしいと思ったら、辞めればいいだけだし……)
ビクビクしながら、右耳にあてた携帯から聞こえる呼び出し音に集中する。
『ーーはい』
数回鳴って繋がった電話口から聞こえたのは、穏やかで優しそうな女性の声だった。
ーー女性の名前は、中西静香さん。
大手企業で重役を務める、バリバリのキャリアウーマン。
そんな肩書きに少し臆してしまった私。
それでも、電話口から聞こえる優しい声はとても人当たりが良く、すぐに打ち解けた私は気付けば1時間も通話していた。
個室部屋で八畳一間の家具付き。バストイレ別で、初期費用なしの光熱費込みで3万。
そんな好条件と、静香さんの人柄に惹かれた私は、物件など見るまでもなく即決してしまった。
(早まっちゃったかな……。やっぱり、物件は見ておくべきだったかも)
後々そんな事を考えていた私は、キャリーバッグ片手に立ち止まると、やっぱり即決して良かったと改めて思った。
「わぁ……! 素敵な家」
目の前にある白塗りの可愛らしい家を眺めて、キラキラと瞳を輝かせる。
六十坪程の土地に建ったその家は、全体が白を基調とされている女性らし造りで、色とりどりのガーデニングがその周りに色を添えていた。
(本当に、3万で住めるのかな……?)
そんな不安を抱き始め、緊張で少しだけ震え始めた指先で目の前のインターホンを押した。
ーーーピンポーン
『ーーはい』
「あっ……あの、樋口真紀です」
『……あ。ちょっと待ってね』
インターホン越しに聞こえるその声は、先日電話口で聞いた時と同じ穏やかな声で……。
緊張で固まっていた私は、ホッとすると身体から力を抜いた。
「ーーいらっしゃい、真紀ちゃん」
そう言って目の前の玄関扉から現れた女性は、優しい笑顔を浮かべたとても綺麗な人でーー
その想像以上に美しい姿に、私は再び緊張で固まると思わず見惚れてしまった。
スラリと伸びたモデルのような手足に、ニキビ一つない整った小さな顔。
サラサラの綺麗な長い黒髪を耳に掛ける仕草が、なんだかとても色っぽくて……。
思わず、ドキリとする。
「迷わなかった?」
「……っあ。はい! 大丈夫でした」
ペコリと小さくお辞儀をすると、クスリと笑った静香さんは「どうぞ中に入って」と言って、優しく私を迎え入れてくれた。
「ーー真紀ちゃんの部屋は、ここ。……自由に使ってね」
そう案内された部屋には、ベッドと大きめな棚が用意され、その横にはクローゼットまで付いている。
壁にはベッドと同系色の可愛らしいピンクのカーテンが掛かり、全体的にとても女の子らしい部屋だ。
「あの……。本当に、3万でいいんでしょうか?」
(こんなにいい部屋を、本当に3万で貸してもらえるかな……? もしかしたら、私の聞き間違いかも)
この部屋を見ると、そんな気がしてくる。
「安心して。光熱費込み、3万で大丈夫よ」
私の不安な気持ちを察したのか、静香さんはフフッと柔らかく笑うとそう答えた。
その後、一旦荷物を部屋へと置くと、一通り家の中を案内してくれた静香さん。
リビングは二十畳程あり、そのあちこちには綺麗な花や観葉植物が置かれている。その広さには圧倒されたものの、センスのよい部屋には居心地の良さを感じる。
1階には、リビングと居室が2部屋にお風呂とトイレが。2階には寝室が3部屋とトイレがあった。
こうして見てみると、家賃3万で住めることが本当に夢のようだ。
隣で説明をしながら微笑む静香さんを見て、私は奥にある一室の扉を指差した。
「あの、あの部屋は……?」
先程から、家の中を案内してくれている静香さんは、全ての扉を開いて中を見せながら私に説明してくれていた。
2階奥にある、あの部屋を除いてーー
「……あそこは、私の趣味の部屋よ。恥ずかしいから……覗かないでね」
私の指差す方向に目を向けた静香さんは、その視線を再び私へと戻すと困ったように微笑んだ。
「あっ……はい! 絶対に覗きません!」
失礼な事を言ってしまったかと焦って頭を下げると、クスリと笑った静香さんは「お茶にしましょうか」と言って私をリビングへと誘った。
※※※
「ーーはい、どうぞ」
「ありがとうございます」
目の前に出せれたティーカップを手に取った私は、一言お礼を告げると中に注がれた紅茶を一口飲み込んだ。
ソーサーにカップを置いて視線を上げると、優しく微笑みながら私を見つめる静香さんと視線がぶつかる。
「……真紀ちゃん、可愛いわね」
「えっ……?!」
突然そんな事を言われ、驚きにピクリと小さく身体が跳ねる。
こんなに綺麗な静香さんにそんな事を言われれば、お世辞とわかっていても見る見る内に私の顔は赤く染まっていった。
「かっ、可愛くなんてありません。静香さんの方がよっぽど綺麗で……羨ましいです」
赤くなった顔を少し俯かせると、そんな私を見つめる静香さんはフフッと小さく声を漏らした。
「ありがとう。でも、真紀ちゃんの方が可愛いと思うな。……茹でダコみたい」
赤く染まった私の頬をツンッと軽くつつくと、優しく微笑む静香さん。
その仕草に、私の胸はドキリと鼓動を跳ねさせる。
ーー相手は、女性だと言うのに。
(こんなことで、これから本当に一緒に暮らしいけるのかな……)
とてもじゃないけど、私の心臓が持ちそうにない。
早鐘のようにドキドキと高鳴る胸を押さえると、それを抑えるかのようにして小さくふぅーっと息を吐いた。
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