シェアハウス【完】

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※※※





「ーー真紀ちゃん、美味しい?」


 私の目の前で、ニコリと優しく微笑む静香さん。

 あの日の事などまるで何もなかったかのように、普段通りに戻った静香さん。
 私はといえば、あの時見た静香さんの姿が忘れられずに、どう接すればいいのかわからなくなっていた。


(早く貯金を貯めて、一人暮らししなくちゃ。それまでは、極力静香さんと関わらずにすればいいだけだし……)


 数日前に香澄に相談した私は、その時からそう思うようになっていた。

 ーーけれど、夕飯だけはどうしても避けられない。
 私の為にわざわざ静香さんが作ってくれているのだし……。今まで一緒に食べていたのに、突然それを辞めたら明らかに不自然だ。


「はい。凄く美味しいです」

「良かった。今日のスペアリブは、自信作なのよ」


 嬉しそうに微笑む静香さんを見て、チクリと胸が痛む。

 私の為に料理を作り、私が美味しいと言えば嬉しそうな顔をする静香さん。


(こんなに、いい人なのに……)


 そんな静香さんのことを少し怖いと感じている私は、一方的に避けてしまっているのだ。

 今、こうして目の前で微笑んでいる静香さんを見ているとーー。
 何故、こんなにも優しい笑顔を見せる静香さんを怖がっているのかと、自分でもよくわからなくなってくる。

 罪悪感にそっと目を伏せると、目の前にいる静香さんが口を開いた。


「真紀ちゃん? ……やっぱり、口に合わなかったかしら?」

「あっ……、いえ! とても美味しいです」


 心配そうに私の顔を覗き込む静香さんを見て、慌てて顔を上げると小さく微笑む。

 その言葉は勿論、嘘などではなくーー。
 確かにとても、美味しいのだ。


(……暗い顔を見せちゃ、ダメだよね)


 そう思った私は、ニッコリと笑うとお皿に盛られたスペアリブに手を伸ばした。

 突き出た骨を掴んで、美味しそうに肉汁を垂らす肉にかぶりつけば、口の中一杯に香ばしい香りが充満する。
 そのまま少し弾力のある肉を骨から剥がすと、私は口の中に入った肉の味を充分に堪能してからーーゴクリと喉を鳴らして、飲み込んだのだった。







ーーーーーー


ーーーー






 食事を終えて自室へと戻ってきた私は、携帯を開くと画面をスライドさせた。


「まだ、既読にならない……」


 表示されている画面を見つめ、ポツリと小さく呟く。
 その視線の先には、香澄とのメールや通話の履歴が表示されている。


(どうしたんだろう……)


 バイトで顔を合わせた日以来、香澄と連絡がつかないのだ。

 私の家を探すと言っていた香澄。
 その日、バイトが終わるとすぐに香澄に電話を掛けてみた。
 数回鳴らしても繋がらなかったので、諦めた私はメールを送信しておいた。

 ーーそれが、未だに未読のままなのだ。



『静香さん。今日って、誰か家に来ましたか?』

 ーー3日前。
 帰宅した私がそう尋ねると、『誰も来てないわよ。どうして?』と不思議そうな顔をしていた静香さん。

 あの日ーー。
 もしかして、香澄は何処で事故にでも遭ったのだろうか……? そんな不安が、頭をよぎる。

 私は通話ボタンを押すと、携帯を耳にあてた。
 規則正しい呼び出し音は、何度も耳に流れては消えてゆくーー。一向に繋がらない携帯を耳から離すと、諦めた私は溜息を吐きながら携帯を閉じた。


(……明日は、確か香澄とシフトが同じだったはず)


 明日になれば、バイト先で会える。
 そう思った私は、ベットへ横になると重たくなってきた瞼をゆっくりと閉じたのだったーー。






※※※






 ーー翌日。
 バイト先へ行ってみると、香澄は無断欠勤をしていた。
 今まで1度だって無断欠勤などした事のない香澄に、やっぱり何かあったのではと心配になる。


(香澄……。本当に、どうしちゃったんだろ……)


 帰り仕度を終えて裏口から出ると、通りに出た所で突然見知らぬ男性に呼び止められた。


「ーーあのっ! 真紀ちゃ……っ。樋口真紀さん、ですよね?」

「あ……、はい」


 何だか、見覚えのある男性。
 どこで見たのだろう……?


「あっ……。俺、香澄と同棲している北川雅也です」


 そう告げると、名刺を差し出した北川さん。

 ーーどうりで、見た事があるはずだ。

 香澄のSNSには、北川さんとのツーショット写真がいくつか載せられている。
 実際に会うのは初めてなので、直ぐにはわからなかった。

 そんな香澄の彼氏さんが、私に何の用だというのだろうか?


(ーー! まさか……。やっぱり香澄は、事故に遭って入院しているとか……?)


 渡された名刺から視線を上げると、目の前にいる北川さんの様子を伺う。


「あの……っ。香澄、知りませんか?」

「えっ……?」


 私の予想とは全く違った言葉に、思わず声が裏返ってしまう。

 そんなの、私が聞きたいくらいだ。
 香澄知りませんか? ってことは、家にも帰っていないということなのだろうか……。


「あの……。香澄、家に帰っていないんですか? 4日前の夜から、私連絡がつかなくて……」

「4日前……。その日からです、香澄が家に帰ってないの」

「えっ……」


 心配そうな顔をして俯く北川さん。


「あっ、あの……。その日の夕方に、香澄と会ったんです。バイトが入れ違いで……私、遅番だったんですけど。……それで、バイトが終わって……。夜中の1時過ぎに電話したら、繋がらなくて……」


 私の声に顔を上げた北川さんは、悲しそうに微笑むと口を開いた。


「……夕方には、見たんですね。ありがとうございます。他にも何かわかったら、そこに連絡ください」


 そう言って、私の手元を指差す北川さん。
 名刺を見ると、携帯の番号とアドレスが記載されてある。


「あ……、はい。わかりました」

「よろしくお願いします。……突然呼び止めて、すいませんでした。それじゃーー」


 深々と頭を下げた北川さんは、私に背を向けるとその場を後にした。





ーーーーーー


ーーーー





 その足で自宅へと帰ってきた私は、携帯を取り出すと未だに”未読”と表示されている画面を見つめた。


(香澄……っ。一体、どこにいるの……?)


 手の中にある携帯をキュッと握ると、進行方向へと向けて廊下に視線を移す。ーーすると、キラリと光る何かが視界に入った。


(? ……何だろう?)


 ゆっくりと廊下を歩きながら、ソレに近付いてみる。
 目の前まで辿り着くと、その場で腰を屈めて覗き込む。


(あれ……? これって……!)


 勢いよく”ソレ”を拾い上げると、目の前まで持ち上げてじっくりと見てみる。


(ーー!! やっぱり……!!)


 私の目の前で小さく揺れているのはーー
 ラインストーンがキラキラと輝く、お花をモチーフにしたピアスの飾り部分。

 私は、コレに見覚えがあった。

 そうーー。
 香澄がよく、身に付けていたのだ。

 ユラユラと香澄の耳元で揺れていた、ピアスの光景を思い返す。
 私は顔を上げると、膝を着いたまま目の前の扉を見つめた。

 今、私の目の前にあるのはーー。
 開けてはいけないと静香さんに言われた、あの部屋の扉。

 ーーあの日。
 静香さんは誰も来ていないと言った。


(じゃあ……。なんでコレが、ここに落ちてるの……っ?)


 もしかしてーー。
 あの日香澄は、ここに来たのでは? 

 そんな考えを巡らせながらも、目の前の扉をジッと見つめているとーー
 突然背後に気配を感じて、私はゆっくりと振り返った。

 私を見下ろすようにして、無表情で立っている静香さん。
 その腰を屈めると、私の顔を覗き込んでニッコリと微笑む。


「ーー真紀ちゃん。何してるの?」


 思わず、ゾクリと身体が震える。
 表情こそ笑顔だけれど、その瞳は決して笑っていなかったからーー。


「あっ、あの……っ。こ、コレが落ちていて……っ」


 ビクビクと顔を俯かせながらも掌を差し出せば、頭上からクスリと小さな笑い声が降ってくる。
 それに反応して顔を上げてみると、いつもと変わらない優しそうな笑顔の静香さんと視線がぶつかる。


「ありがとう、探してたの」


 そう告げると、私の掌からピアスの飾りを取り上げた静香さん。


「え……っ?」

「お気に入りだったのに、片方無くしちゃって探してたのよ。見つけてくれて、ありがとう」


 そう言って、ニッコリと微笑む静香さん。


(静香さん、の……?)


 いやーー。あれは、間違いなく香澄が付けていたピアス。
 可愛らしいお花のモチーフのその飾りは、静香さんの好みとも違う気がする。

 たぶん……。いやーー
 きっと、静香さんはこの家で香澄に会ったのだ。

 目の前でニッコリと微笑む静香さんを見つめながら、私は汗ばんだ掌をギュッと握りしめた。






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